都内の紅葉散歩

1695年に、五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が綱吉から賜った地に下屋敷を造り、そこに造成した庭園である。
御殿を六義館、庭園を六義園と称した。
詩経の六義(りくぎ)から園名が名付けられている。
江戸初期に完成した桂離宮の庭園の様式を採用した回遊式築山泉水庭園である。
元禄時代の明るいおおらかな気風を反映した江戸大名庭園の代表的なものである。

武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴。 この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の邸宅だったが、次男が古河家の養子になった時に古河家の所有となる。尚、この当時の建物は現存していない。
現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士(18521920)。現在の洋館は 博士の最晩年の作で、大正65月に竣工。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然ストレート葺き、地上2階・地下1階となっている。
博士は当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計している。日本庭園の作庭者は、山県有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭し、造園界に多大な貢献をした京都の庭師植治こと小川治兵衛(18601933)。

 
       
       
       
       

 
         
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